6月の定例会後、百上さんのテキスト現地研修会を開催いたしました。
悪天候のため、当初の予定を変更し藤堂藩武具庫跡を見学しに、県立上野高校へ。
現在は上野高校同窓会事務局になっています。
同窓会メンバー以外めったにお目にかかることのない武具庫跡。
補強されて保存されています。
甲冑なども展示保存されていました。
芭蕉翁像試作モデル 大西金次郎作
奥のお堀の近くには移築された石室がありました。
草に覆われて痕跡のような感じでしたが…
奧城寺一号墳
この古墳は伊賀神戸駅の北約500米の所で発掘されたもので、
宅地造成のため壊されるのを惜しみ、浅沼興産の好意により、
1973年(昭和48年)3月、この地に移築したものである。
6世紀前半の古墳で、墳丘直径6米、石室の長さ2.5米、
幅1米の堅穴式石室と思われる。出土遺物としては、土師器や
須惠器の各種土器や石鏃などが発見されている。
と看板にこう記されており学校の裏にこんな石室あるなんて驚きでした!
続いて、上野城天守閣にやってきました。
「鳳凰雙飛(ほうおうそうひ)」
上野城は雅号を白鳳城と言い、一組のつがいの鳳凰が大空に飛び立ち舞っている情景を思い浮かべ、未来に向け郷土(上野)が発展飛躍するよう願いを込めた言葉で川崎克さんの揮毫で篆刻は二世中村蘭台(東京出身)で松の一枚板に字を浮き彫りにしている。
時間がなく今回は一階の展示品についてのテキストには載っていないような裏話的なお話がきけた。伊賀焼コーナーにあった「太田垣蓮月」(藤堂新七郎良聖の落胤で京都で生まれたが知恩院門跡の坊菅太田垣光古(みつひさ)の養女となる)の話はうっかり見逃してしまいがちなところを学びなおしさせてくれました。
一度下見に行くだけではなく、何度も訪れることでお客様に話すことの引き出しが増えていく。自分の中でアップデートしてくことが必要。ただし、膨大な知識量は蓄えておき、目の前のお客様が欲しい情報を的確に引き出すことが必要とのこと!
お客様が興味のない話をダラダラしないように、常にお客様と話のキャッチボールをしていくことが大切とのこと。これはもう何度も案内をしないと出てこない経験者のお話で、やはり超ベテランの百上氏はすごいなぁと感心しました。
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